【わたしの311(Bさん)】

【  津波のあと 】

2006年以来、久々に仙台市内から七ヶ浜方面(仙台市からみて東側・沿岸部)へと繋がる産業道路を通りました。
今では三井アウトレットパークがあったりと、当時と比較しても様相は変わったように見えました。

この産業道路は11年前の東日本大震災の際に津波が来たエリアであり、海岸線から約1kmほど、低い海抜が続く地域でもあります。通りに面するイオン多賀城店(多賀城市)は、当時、1階が壊滅状態となり、利用者・従業員等約600人が屋上などへ避難しました。

多賀城市における津波による死者は、188人にものぼりました。

地震発生後、津波から逃れる車が産業道路に連なり渋滞化。そこへ津波が襲いかかりました。

多賀城市における津波による被害について
(NHKアーカイブスより)

宮城県多賀城市|各地域まとめて見る|NHK災害アーカイブス

市の3分の1が浸水した東北最大の物流拠点~仙台港の北に位置する多賀城市は、港に集積された物資を東北各県に運ぶ、国道45号線と県道23号線、通称「産業道路」を中心に東…

震災後、予定を立てて定期的に地元へ帰り、大船渡や釜石へ行き、がれき処理・後片付けなどの手伝い・応援へ行きました。

知っていた街がこうなるなんて・・・

悲壮と驚きと様々な思いが交しましたが、そうも言ってられないと、ここで生活している地元の方々がまた暮らせるようになってほしいという思いで作業に没頭しました。

動画・FNNより
大船渡市に押し寄せた津波

※この動画で叫ぶ男性の声がありますが、さいとう製菓(大船渡市が本社・かもめの玉子で有名)の社長の声です。

地元の沿岸部(大船渡市、宮古市)に知人がおりましたが、いずれも無事でした。

【後世へ伝える石碑】

私も実際見たことがあるのですが、津波のおそろしさを後世へ伝える石碑があります。
沿岸部から離れた場所にあり、『昔、ここまで津波が来た』ということを伝えています。こんなにも奥まで来たのだと戦慄します。

しかし、時が経つにつれ、人の暮らしの拠点はまた沿岸部へ。

津波が襲いかかったとき、大丈夫と思っていたがために逃げるのが遅れた人が多くいたそうです。
一旦高台や山へ逃げたにもかかわらず、再び引き返した動きもあったそうです。

【津波てんでんこ】

津波がきたら、各自てんでばらばらに高台に逃げろという言い伝えがあります。
防災文化であり、前述の石碑と同じ伝承でもあります。
この言い伝えを守り、実践したことにより、多くの命が救われています。

【2022年】

津波の被害を受けた街は、震災前に近い景観になっているところもあれば、陸前高田市のように大規模に変わった街もあります。
また、大槌町のように、震災前よりも大きく高くなった防潮堤が整備された街もあります。
良い面がある一方、変わったことによる別の問題も出てきているようです。

いずれにせよ、災害の悲しみを忘れずに、ここで起きたことを後世につなげていかなくてはなりません。

コロナ禍により人と関わりの希薄化が進んでいますが、地元の方にとどまらず、ほかの場所で暮らしている私たち全員で、身に覚えておくべき言い伝え。

東日本大震災により亡くなられた方々に、改めて哀悼の意を捧げます。

写真は塩釜水産物仲卸市場
2022.2.9撮影筆者 

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